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History of Okuyamato
奥大和の歴史
自然への畏敬の念から始まった奥大和の歴史
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山に神々を見出し暮らしてきた奥大和の人たち
どこまでも奥深い山々と、山から染み出し川となり流れていく清く澄んだ水。森林の面積が9割を占める奥大和へと足を踏み入れると時がゆっくりと流れるような、ひと昔もふた昔も前へとタイムスリップしたような感覚さえ抱きます。そこにあるのは、自然からの恵みも、自然の厳しさをも受け入れて山とともに暮らす人々の暮らし。奥大和の人々は古来、森からの恵みや豊かさに感謝し享受する反面、時に大雨や土砂崩れなどの恐ろしい災害をもたらす山々に畏敬の念を抱き、神聖なるものとして崇めてきました。
今から1300年以上前にそんな山岳信仰の中から生まれたのが、奥深い山に入り修行をすることで神秘的な力を得、自他の救済を目指そうとする修験道(修行して験力を顕す道)。発祥の地と言われるのが、奥大和の天川村に位置する標高1719mの大峯山です。修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が大峯山にて修験道を開くと、大峯山は山岳修行をする山伏たちから「霊峰」として崇められ、日本各地から山伏が大峯山を目指し来るようになりました。
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役行者が奈良県のほぼ中央に位置する吉野から大峯へ、そして大峯を経て、和歌山県の熊野へと歩き開山した約80kmの修行道が「大峯奥駈道」です。この「紀伊山地の霊場と参詣道」はユネスコの世界文化遺産に登録されました。今もなお、大峯山には山に入り自身を見つめるための修行に多くの人が訪れていますが、現在でも女人禁制となっていて、登山口の女人結界門を境に、そのさきは男性しか足を踏み入れることができません。
山伏から始まり、修行に訪れる人たちが通ってきた道沿いの温泉街には、修行者が体を休めるための宿場町ができ、そこで暮らす人たちも集まるようになりました。大峯山のお膝元である天川村には、創業500年を誇る老舗旅館をはじめ、現在でも20軒ほどの純和風木造建築の旅館や民宿が立ち並び、風情を感じる景観を保っています。
水を守り、分配する神様を祀る神社が各地に
一方、大峯奥駈道の起点であり県央に位置する吉野は、7世紀に記された古事記や日本書紀、万葉集にも記述があるように、古くから日本の歴史にゆかりのある土地です。後に天武天皇となった大海人皇子が壬申の乱の前に身を潜めたのも、北条幕府を倒して建武の中興を遂げた後醍醐天皇が南朝の拠点として選んだのも吉野の地でした。人を簡単には寄せ付けない深い山々の間を、清らかな水が勢いよく流れ下りる様に神秘を感じ、安らぎを求めたのでしょう。
奥大和には、7世紀から受け継がれる水を守る神を祀る日本最古の社「丹生川上神社(上社・中社・下社)」があります。日本有数の多雨地帯として知られる奥大和の人たちは、万物の生命の源となる水のありがたみを誰よりも良く知っていました。763年に黒毛の馬を献上して以来、雨乞いには黒馬を、晴れを祈るときには白馬を丹生川上神社下社に献上したといいます。
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奥大和にはこの他にも、吉野水分神社、宇太水分神社といった水の分配を司る神様を祀る神社や、水の神である龍神を祀る室生龍穴神社などもあります。また紀の川源流の村、川上村の「三之公地区」には500年以上も前から手付かずの森が残されており、村はこの森を「吉野川源流ー水源地の森」として守っています。
古来より、自然と共に暮らしてきた奥大和の人たち。近年、移住してくる方たちが増えていますが、自然とともにある暮らし方に共感をして移住を決める方が多いそうです。海外で学んだ若い家具職人さんや木工作家さんも多く、その方たちが昔から引き継がれてきた技術を職人さんから学んだり、共にものづくりをしているうちに、新しいデザインや仕組みが化学反応のように次々と生み出されています。奥大和の新たな歴史が今、紡がれはじめています。